KIFA設立20周年記念講演会
『テレビ・戦争報道の現場』
「カメラを構えると、銃口が狙っている・・・」 アフガニスタン、イラクなど
戦争・紛争地帯の過酷な条件下で取材活動をつづける
ジャーナりスト・遠藤盛章氏の講演会レポート(概要)
 1月27日(日)、東部学習センター・レインボーホールで遠藤盛章氏(国際ビデオジャーナリスト)の講演会が開催された。
 講師はビデオジャーナリスト。映像会社のディレクターを経て、ビデオカメラによる世界の危険地帯を単独取材、フリーランスの映像ジャーナリストとして活躍中。
 今回の講演会で取材映像を紹介したイラク戦争(02〜04年・自らもスパイ容疑で拘束された)、スマトラ沖地震(2004年12月)最大被災地・アチェ州での独立運動への弾圧現場、テポドンミサイル発射の北朝鮮(1998年8月)、さらにタリバン政権下のアフガニスタンなど、主に世界の戦場・紛争地帯に潜入、取材、ニュースを報道各社に提供したりドキュメンタリー番組を制作している。DNAチーフディレクター。1948年生まれ、東京出身。
  戦争が見えなくなった
 20世紀の戦争は国と国との戦いで、交戦国・戦争地帯の状況は、従軍記者が戦況を知らせることはできた。しかしその報道は当然、軍による監視と規制を受け、許可されたニュースしか発表できないものであったが、条件付きとはいえ取材は許され報道されてきた。
 ところが、2001年9月11日に発生したアメリカ、ニューヨークの貿易センタービル同時多発テロ事件以降、状況は一変、「戦争が見えなくなって(隠されてしまった)、あるいは突然、街がテロの戦場になる」取材・撮影さえ不可能な状況に変わってきた。これでは本当の事実・真実は知らせることはできない。
「新しい戦争」―民族運動、テロとの戦い、いつでも、どこでも戦場、人が死ぬ場所になる。
 そこでは何が起きているのか。米軍のアフガン侵攻以来、戦場地帯から取材者は締め出され、取材は拒否されるようになった。近づこうとすると銃口を向けられる。軍当局が一方的に発表することが報道される。これはジャーナリズムとはいえない。
 知らされていない、隠されている事実を調べ取材し、知らせ、報道するのがジャーナリズある。
 これでは本当の事実、隠されている事実を知らせるジャーナリズムの使命が果たせない。
戦場を見たい、見たことを知らせたい
 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件のあと、米軍によるアフガニスタン侵攻は、テロ事件の首謀者への報復として、米国によるタリバン政権への武力攻撃であった。取材は拒否され、侵攻米軍が発表することしか知らされない。タリバン側からの取材を試みたが実現しなかった。また、米軍とは違う立場の「アルジャジーラ」テレビ報道もあったが、両陣営からの一方的な発表・報道はジャーナリズムとは言えない。

遠藤氏は自分で撮影した映像を紹介しながら講演はつづく・・・。
私はイラクに残った、そして拘束された
 2003年3月、米軍によるイラク侵攻の軍事行動開始により、日本外務省の退去勧告で、邦人はじめマスコミ取材者がバグダットを離れた。フリーでいた私は少数の外国人記者とともに残り、取材を続けていたが、カメラを持っていたため、イラクの秘密警察にスパイ容疑で拘束されてしまった。
アブグレイブ刑務所に拘束され死刑囚扱いであった。塀の上にはいつも自動小銃を持った兵士が監視している。近くに米軍の爆撃があるたびに、処刑されるのではないかと身の縮む思いでいた(後で分かったが13人は処刑されていた)。米軍の爆撃が近づくとコーランの声が大きくなる。遠ざかると小さくなる。これで爆撃機の状況が分かった。
 アグブレグ刑務所に9日間拘留された。刑務所の中で政治犯ら反体制活動家と知り合いになり、取材活動の情報提供者として貴重な友人を得た。
 フセイン政権が倒れたのが4月9日、釈放されたのは11日であった。バグダッドで多くのイラク兵の死体を見、悲惨な場面を撮ってきたが、日本のメディアは流さない。自主規制があり、残酷な場面は報道して貰えない。これでは戦場の実態は伝わらないと思う。
 釈放された後、再度バグダット入りして、その友人たちを訪ね、自分が拘留されていた刑務所、処刑場などフセイン政権崩壊後のイラクを撮ることができた。破壊され、略奪されるバグダット、自分がどんな状況の中にいたのか知ることできた。

講師と運営スタッフのみなさん
大津波の村で独立運動の青年が撃たれた
 2004年12月26日にインドネシア・スマトラ沖で起きた、大地震による巨大津波による最大被災地となったアチェ。ここはアチェ州独立運動の拠点でもあった。その被災地で独立運動に身を投じていた青年が、故郷に帰ったところを政府軍によって射殺された。
 
○ビデオを上映しながらの遠藤氏の決して派手ではないが、訥々と語る内容にかえって問題の深刻さが伝わってきた。
 聴講した市民は100余人、もっと多くの人に聞いてもらいたい講演会であった。
テポドン発射時の北朝鮮
 1998年9月、金正日が国家元首に就任する。この年8月31日、テポドン1号が発射された。隠し撮りで撮った平壌の夜、電力不足で夜間停電。高級クラブのみ開いている。
 特別な職務の人たちだけに許される豊かさと、郊外では木の実を拾って食べる村民たちの姿が写されている・・・
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