セルビアの「文化と暮らし」を知る交流カフェ 
KIFA交流部会 2011年10月16日
 私たちはセルビアという国を、どのように知っているでしょうか――。最近では1月に行われた「2012年全豪オープンテニス」で 2連覇を果たした貴公子・ノバク・ジョコビッチ選手、また、女子バレーのナショナルチームが2011年の欧州選手権で王座につき、 昨年の秋、日本で開かれたワールドカップでは、日本チームを強 打で圧倒しました。新聞のスポーツ面にセルビアの見出しが目に つくようになりました。古くは「セルビアの青年がオーストリア皇太子へ撃った一発から、第一次世界大戦が始まった」とか、現代史は1990年代の流血の「コソボ 紛争」など報道によって知られています。
 これまで交流部会企画の「交流カフェ」はアジア諸国が選ばれていましたが今回、スラブ諸国に関心を移すことにして、世界の火薬庫とも言われたバルカン半島の中央部に位置する国で、ヨーロッパとオリエント文明の十字路とも言われるセルビアの「文化と暮らしを知る」交流カフェを2011年10月16日(日)まなびぃプラザ3階学習室において、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国から、現在のセルビア共和国の成立に至る歴史と文化を中心に、2時間にわたって紹介され、セルビア人講師と市民の皆さんによる交流会が行われました。

セルビアの基本情報

・国名 セルビア共和国 (Republic of Serbia)
・首都 ベオグラード(人口 156 万人)
・面積 8万8,361km2
・人口 約750万人
・言語 セルビア語
・宗教 セルビア正教、カトリック、イスラム教など
・文字 キリル文字(ラテン文字も通常使用されている)


・時差 日本よりマイナス8時間 
サマータイム採用時はマイナス7時間
・通貨 ディナール
(100円≒ 56 2006 年 7 月 24 日現在)
・気候 大陸性気候
・電圧 220V/50Hz 
プラグの形状は C 型もしくは SE 型     
   (セルビア大使館のホームペー
ジから)
◎3人の講師をお招きしました。
・ティヤナ・ナガトさん(ベオグラード大学、セルビア大使秘書)=写真左  
・サニャ・トリプコヴィッチさん(ベオグラード大学、ライター・通訳、日本文学研究)=写真中央  
・小柳津千早さん(ベオグラード大学留学、ジャー ナリスト、セルビア女性と結婚)=写真右  
・また、この日のご案内を差し上げたところ、市内在住のセルビア人女性ニコリッチ細中ネーナさん(言語学博士、神田外語大講師、)がご家族で駆けつけてくれました。テーマによりの解説を入れていただきました。

◎プレゼンテーションのテーマ

1.セルビアの一般情報=トリプコヴィッチさん  
2.セルビア共和国の歴史=小柳津さん  
3.観光・文化情報=ナガトさん  
4.教育制度=トリプコヴィッチさん  
5.日本人が見たセルビア(生活、結婚式など)=小柳津さん  
6.文化、祭り、料理など=ナガトさん 
 セルビアは、何世紀にもわたって、バルカン半島の一角で民族の攻防と戦いの歴史による文化遺産を残しています。現代史的には、1990年から2000年のユーゴスラビア紛争を経験し、社会主義連邦共和国の解体の過程で、今も当事者である国民には深い傷跡を残しています。その紛争当時に母国において、青春期(高校、大学)を過ごし た二人の講師は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国から、現在 のセルビア共和国の成立に至る歴史と文化を中心に、外国人とは 思えない正しい日本語で、歴史・民族・文化・暮らしなどを、2時間にわたって紹介されました。参加者からの紛争当時のつらい質問にも率直に応えられ、さすがベオグラード大学日本語学科を専 攻されたお二人でした。 また、4年半の留学生活のなかで、セルビア人女性と結婚された小柳津さんからは、学生生活、サッカー、テニス、バレーボー ル、水球などスポーツ活動の情報、大学生活の課外活動、羨ましいような結婚式の模様なども、映像で紹介されました。 さらに、身近な市内にもセルビア出身の方が居られることも知り、内容の濃い「交流カフェ」となりました。


◎プレゼンテーションの内容 
◎セルビア共和国の基本情報  <トリプコヴィッチさん> 
 私は日本に来て11年なります。来日した2000 年当時は、セルビア・モンテネグロという国でした。 生まれたのはチトー大統領によって建国されたユーゴスラビア社会主義連邦共和国でした。当時、冷戦時代にはいろいろ特徴がありまして、旧ユーゴスラビアは非同盟諸国とのつながりが強く、 大国からの独立した政治を望んでいた国でした。50年、60年代には観光とか経済が急速に発展して、現在はセルビア共和国といい、2006年のモンテネグロの独立により、旧ユーゴスラビアの宗主国として現在に至っています。ユーゴスラビアとは南スラブ人の国という意味です。 旧ユーゴスラビアの解体は1900年代から始まりました。私は当時、中学生から高校時代の頃でした。



セルビア語で自己紹介する(右から)ティヤナ・ナガ トさん、サニャ・トリプコヴィッチさんと、小柳津千早さん




◎EU加盟が国の方針
◆セルビアの位置について:ヨーロッパの南東欧のバルカン半島のほぼ中央部にあって、多数の国と隣接しています。 北部でハンガリーに、北東部でルーマニアに、東部でブルガリアに、西部でクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナに、南部でア ルバニアとマケドニア、モンテネグロに接している。西部のクロ アチアとボスニア・ヘルツェゴビナは、セルビアと同様に、旧ユー ゴスラビアの一員でした。 人口は750万人。面積は8万8361㎡(北海道の広さと同じくらい)。首都はベオグラードで156万人が住む。言語はセルビア語(ロ シア語に近い)で文字はキリル文字。宗教はセルビア正教、カトリック、イスラム教など。通貨はセルビア・ディナール。
◆国旗:三色旗(赤は血の犠牲を、青は空と自由を、白は光を意 味する)。真中に王家の紋章が配置される。紋章は社会主義時代は 廃止されていたが2004年から復活しました。 ◆政治・経済体制:2002年から民主主義体制になり、外交を基本方針として、EU加盟を目標にEU諸国との関係発展が最優先課題となっている。、バルカン半島の国々を含めてヨーロッパ、世界の国々と友好関係をさらに深めて、グローバルな世界で平和と平等社会に貢献したいというのが国の姿勢です。農業を中心に製造業(繊維、電気化学など)の成長を進めている。主な輸出先は独など。 
――EU加盟について(質問に答える形で)ヨーロッパ・EUはいろいろ困ったことが起きているが、いまは加盟することが第一で、こういうときだからこそあえて加盟して、セルビアのような国にも可能性があるではないか、ヨーロッパの中で何かできるのではないかと、まず加盟することが国の方針ということです。



セルビアの隣国は、北部でハンガリー、北東部で ルーマニア、東部でブルガリア、西部でクロアチ アとボスニア ・ ヘルツェゴビナ、南部でアルバニ アとマケドニア、モンテネグロに接してる。





◆経済制裁より文化制裁がつらかった  

 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国をまとめていたチトー大統 領の没後、マケドニア、アルバニア、モンテネグロ、クロアチア、 スロベニア、ボスニア・ヘルツェコビナのうち、スロベニア、クロアチアなど各国が独立し、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は崩壊。1992年コソボの独立をめぐる紛争でNATO軍の空爆を受け、ヨーロッパ各国からは文化制裁かけられる。紛争を経て2006 年から現在のセルビア共和国成立に至る過程のなかで当時、中学から大学生までの時期を過ごされたトリプコヴィッチさんは、つらい記憶に関する質問にも、堪能な日本語で応えられた。
 ――コソボ紛争では、報道されたことによると、あれだけの悲惨な流血もあったが、現在でも憎みあうとか、そのわだかまりみたいなものは……?  <トリプコヴィッチさん>大体2000 年から落ち着いています。 セルビアの場合は実際に紛争はなかったけれど、1999年に3か月にわたってNATO軍から爆撃を受けました。そのときは国連の方から、経済制裁や文化封鎖をかけられました。経済制裁は確かに苦しかったけれど、インフレが大変で、今日もらった給料で明日は、卵一個買えないようなこともありました。 しかし個人的には、私は大学生でしたけれど、経済制裁よりも文化封鎖のほうが辛い経験でした。当時、大学生で最も世界の情報を知るべきときに、外から情報が入ってこなかった。文化制裁というのは他の国との交流ができない。国際映画祭に行きたくても行けない。自分の国にも海外からのお客さんが来たくても来れない。それは自分の青春時代において考えさせられる事態だった。 一方、そういう時代だったからこそ普段、いつも日常の生活に追われてされてしまうことよりも、自分にとって良いことではなかったかと思う。

   
                       政府庁舎

◆複雑な思いが残る90年代の出来事   
 起きたことについては、幾つかのカテゴリーがあって、そこにいた当事者にとってはどうであったか。また遠くにいて見ていた者にとって、どう見えていたか。関係ないけれど、たまたまそこに居合わせることになった人は、どういう感想をもったか。それぞれに感じ方によるものがあるでしょう。そういうなかには芸術家とか知識人がいました。隣のボスニアヘルツェゴビナのサラエボに行ったいたアメリカの女性知識人が、そこで見たものは恐ろしいことで、セルビアに対して批判的でした。ミノシェビッチ政権のセルビアは悪いように一方的に報道されていて、彼女はミノ シェビッチのような悪を止めるには、「戦争をしてしまってもよい」と発言してしまった。 私は当事者なんですが、当事者にも分からないようなことが、どうして第三者にわかるのか、つまり、もともとこの地域には、さまざまな民族、さまざま宗教の人たちが、何世紀もの間、一緒に住んでいた。お互いが違うということを認識して、その上で付き合っているわけで、そいう人たちにとって違うということは、新しいことではないわけです。ただ政治や世界のパワーに動かされてしまった。90年代の出来事に関しては、一般の人々が巻き込まれてしまっただけではないかと、当事者として受け止めている。 残念なことですが、そこにはいろんな思いがあります。家族を失った人もいました。同じ家族の内で違う民族、違う宗教の人もいたし、そういう人たちが、家族を形成しているわけですから、簡単に殺しあうなんていうことはできない。 単純なことは言えないし、どちらが正しい、正しくないという判断は難しい。巻き込まれてしまった人たちは、それぞれが複雑な思いでいたと思います。10年も20年も経った今も、それを言葉にできないで、ほとんど沈黙してしまっている。本当のところは当事者でなければわからないと思う。





 セルビアの隣国は、北部でハンガリー、北東部で ルーマニア、東部でブルガリア、西部でクロアチ アとボスニア ・ ヘルツェゴビナ、南部でアルバニ アとマケドニア、モンテネグロに接してる。




◎セルビア共和国と日本  

<小柳津千早さん>現代史:
 第二次世界大戦中、1943に王制が廃止され共和制が宣告され、チトーがユーゴスラビア社会主義連邦共和国の初代大統領に就く。首都はベオグラードで、セルビア 人が最も人口が多く広く分布していた。政治的にもセルビア中心の中央集権的な国家体制の状況になってきて、連邦の各国から不満みたいなものが出てきた。 しかし1974年の憲法改正で若干、中央集権的な状況が緩和されることになった。それぞれの国とセルビアの2つの自治州、ヘルツェゴビナとコソボも主権が認められるようになった。1980年にチトー大統領が死去。それまでチトー大統領の下でまとめられていた各国が独立の方向に向かうようになった。とくに北部のスロベニアは、経済的にも豊かでありながら、セルビア中心という体制に不満を持っていた。生産品は中央にとられてしまうというような南北格差が出てきた。その不満が爆発して独立に向かう。  
 1991年にスロべニアとクロアチアが独立宣言をする。そのあとマケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナが1992年に独立を宣言。 残されたセルビアとモンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国として新たに出発する。2003年にセルビア・モンテネグロ連邦共和国としてスタートするが、モンテネグロも次第に不満を募らせ、 2006年にモンテネグロも独立する。 6つの共和国はすべて独立して、セルビアは2006年にセルビア・モンテネグロを始めとする旧ユーゴスラビアの継承国として セルビア共和国となった。しかし2008年にコソボが独立宣言をする。セルビアにとってコソボは聖地のような位置付けで、セルビアは今も独立を認めていない。日本はコソボを一つの国として認めている。もちろん他にも認めている国はあるが、スペインとか ロシアは認めていない。繊細な問題でセルビアはコソボとヴォイヴォディナは自治州として位置付けている。




 
経済制裁よりも当時、大学生で最も世界の情報を知るべきときに、外から情報が入ってこなかった文化封鎖が、つらい経験でした、と話すトリプコヴィッチさん。



◆日本とのつながり

*除虫菊が結ぶセルビアと金鳥  
<小柳津さん> 日本とセルビアには、意外なつながりがあります。 「金鳥蚊取り線香」の原料の除虫菊の原産地がセルビアです。 除虫菊はユーゴスラビア(現セルビア共和国)が原産地で、ある女性が野原から摘んできたこの花を部屋に飾っていたところ、枯れた除虫菊の花束の周りで、たくさんの虫が死んでいるのを発見。以来、その花の殺虫効果が研究されるようになった。 明治18年に大日本除虫菊(金鳥・KINCHO)の創業者・上山英一 郎氏が種子を手に入れ、栽培を始めた。日本の除虫菊栽培は1930年には世界一の生産量となった。1929年、セルビア国王アレキサンドル一世は、除虫菊用途開発の功績を認め、上山栄一郎氏に大阪駐在ユーゴスラビア名誉領事の称号を贈った。この関係はその後も続いており、2004年には上山直英現社長が在大阪セルビア共和国名誉総領事に就いている。 (この間の詳しい事情は金鳥のホームページに載っています)

  

◆東日本大震災への支援  
<小柳津さん> 東日本大震災では、ベオグラード中心部の共和国広場に1000 人以上が集まり、被災者を励ます集会が開かれた。 このとき日本の国旗に寄せ書きし、浦和グランパスのコーチをしているジュロヴスキーに託した。彼は日本に持ち帰り、国立競技場で行われた親善試合でこれを披露した。テニス界では、ノバク・ジョコビッチ(世界ランク1位、1月 全豪オープンで優勝し2連覇)。 3大メジャーを制している彼は メジャー大会に臨むとき、東日本大震災を支援する「Suport to Japan」のメッセージをソックスとサポーターに記していた。セルビアのラジオ放送でもチャリティー放送をして、セルビア赤十字 は5000万円の義援金を送っている。セルビアは親日的な国です。

◎セルビアの観光について
<ティヤナ・ナガトさん> ベオグラード(白い街の意)はドナウ川と サバ川が合流する地点にあるセルビアの首都で、ローマ、アテネと並ぶ古い街です。西洋と東洋が融合した国際都市で、40回もの破壊と再生を経てきています。 一番の見どころは、ベオグラード 要塞とカレメグダン公園。要塞の高台から見下ろす合流点の眺望は圧巻です。(写真右)  公園の近くにはイコンで覆われた城壁で有名な、大天使ミカエル教会があります。
 西部地方にある「王家の谷」には13世紀建設のジチャ修道院と、世界遺産のストゥデニツァ修道院があります。モクラ・ゴー ラの山間部を縫うように8の字型に敷設されたことから、シャルガンエイトと名付けられた鉄道に乗ると、素晴らしい景観が楽しめます。なお、シャルガンエイト鉄道は11月末に日本のテレビ「世界の車窓から」で放送される予定です。また、映画監督のクリストリツァが「ライフ・イズ・ミラクル」を撮影するために建設したドルベングラード(木の町の意)と呼ばれる映画村があります。 ここでは教会もレストランも映画館も、全部木製です。その他市内の、聖サヴァ正教教会、テラジェ広場、旧宮殿(現市庁舎)等が見物です。この他、歴史遺産、ロマネスク様式の修道院がいくつもあり、最近は日本人観光客も増えてきています。

   
 サバ川から見たカレメグダン                  カレメグダン公園

◎セルビアの教育について
<トリプコヴィッチさん> 義務教育は7歳から始まり、小学校 4年、中学校4年、高校4年で12年間。都市部では学校の数が少ないので、2部制授業を行っている。午前は7時から12時半、午後は1時30分から5時30分。1クラスは30人前後の少人数授業。基本的に高校まで授業料は無料で、教材費は自己負担となっている。小学校で20ユーロ程度かかる。 主言語はセルビア語だが、少数民族が居るところはハンガリー語、スロバキア語も教える。セルビアは外国語教育に力を入れている。小学5年からセルビア語+2カ国語を奨励、成績上位者は英語を学ぶ。他の子にはロシア語を教える、高校になるとさらに増え、理数科系に進む子はドイツ語も学ぶ。  
 1808年に創立されたベオグラード大学には哲学、言語学、教育学、世界文学、日本語学科などがあり、幅広い教育が受けられる。 主要都市には5つの総合大学があり、単科大学は200 校くらいある。都市部はほとんどが進学するが、地方では7%くらい。 大学は4年間の授業で、医学や理科系は6年間、さらに大学院や博士課程がある。大学を卒業するのは難しい。例えば日本語学科には55人が入学し卒業できたのは10人程度だった。卒業後は日本語に関連する仕事に就く。あるいは進学する者も5~6人いた。 セルビアは教育水準の高い労働力を持つ国で、ヨーロッパ各国 の大学とネットワークでつながっている。





ベオグラード大学







 

――大学の入学試験は?   
ベオグラード大学日本語学科の場合、セルビア語と英語のテスト、それに高校時代の成績が評価される。国立大学は成績優良の者は授業料は無料だが、成績不良で落第すると有料になる。私たちは2人は無料でした。(一同拍手) 
――日本の大学生は勉強しないと言われているが?
<トリプコヴィッチさん>3年くらい日本の大学(筑波大学大学院)で学ぶ機会がありました。安心して勉強できる環境が整っていて、関係資料は大学の図書館に行けば全部揃っている(うらやましい)。セルビアでは紙とペンで延々と漢字を写す、ということをやっていた。そういう環境だったが、意欲さえあればと思う。
 ――日本人は高校・大学で計7年間も英語を学んで話せない、 ということが有名だが、どこに欠陥?  
<ネーナさん>日本人の子どもだって、チャンスさえ与えれば 十分可能だ。生活に役立つ英語と、アカデミックな英語を分けなければいけない。子どもにアカデミックな英語を教えてはいけない。人生につながる教え方をしたら良い。 もともと日本人は頭が良いし、しょせんしゃべる言葉だからと 割り切ればよい。
  
プレゼンテーション会場の皆さん。右は鎌ケ谷市内在住、セルビア出身のニコリッチ細中ネーナさん。言語学博士・神田外語大学講師。児童英語教育スーパーバイザー

◎セルビアで暮らした日本人  
本日の講師・小柳津千早さんは4年8カ月、ベオグラード大学の留学経験者です。  
<小柳津さん>大学の国際学生寮で暮らしました。建物の古さには辟易しました。学生寮にはセルビア人も居たが、古くて雨漏りがした。ドアにカビが生えていたり、きのこが生えていた。日本に居る大学生は恵まれているなと思ったが反面、人生を豊かにさせてもらった。通学はトロリーバスで行くが、よく架線から外れる。当然動かなくなり、交通渋滞を引き起こす。授業に遅刻しても、バストラブルであればOKとなる。授業が終わるとみんな遊びに行く。いろいろなパーティーがあり、徹夜のパーティーに も誘われる。これらの付き合いは、スラングも含めて言葉を習得するのに役立った。
 日本文化を紹介することもあった。柔道、空手は結構盛んで人気がある。CM撮影で「サムライ」として出演のオファーがあったりしたこともありました。(後で知ったことですがネーナさん は、大の空手愛好家で、日本の武道は世界に誇る文化だという)
◆セルビアでの結婚式  
千早さんは、ベオグラード大学日本語学科で学ぶセルビア人女 性と縁があり結婚されました。映画のような結婚式の詳しい模様を、沢山のスライドで紹介してくれました。新婦の故郷、ベオグ ラードからバスで4時間ほどの町での挙式だったそうです。
 <小柳津さん>結婚式の当日は、招待予定の人たちの何倍もの町の人が来て、大変なことになってしまった。民族衣装を着る ケースもあるが、私たちはウェディングドレスでの挙式でした。 新婦がどのようなドレスを着けているのかは、知らされない。会場で「ご対面」して初めて知ることになっている。会場には音楽隊が居て盛り上げてくれる。 調印と届出のために市役所に行くときは、音楽隊を先頭に旗を持って、コロというセルビアの伝統の踊りとともに、クラクションを鳴らしながら、花飾りの車で行列を作って行く。市役所に着くと、立会人の下で誓いの言葉を交わし調印する。 この後、町の中心地に戻りながら、楽隊と踊りが続く。会場に入ると大勢の人が待っていて、手作りのお料理を作って振舞う。 私はセルビア語でお礼のあいさつ、妻は日本語でスピーチをして 大成功でした。父親が1本のパンを分け合って食べ合う。これは両家が苦楽を共にしていくという意味が込められている。また シャンパンのビンを割って祝福してくれる。日本では「割る」と いうのは嫌われるが、セルビアでは割る、砕くことで「悪霊を追い払う」という意味が込められているという。 一同、数々の美しいシーンを拝見させていただきました。


◎年間行事と食文化の紹介  
<ティヤナ・ナガトさん>3つの年間行事を紹介します。  
 セルビアでは、クリスマスは12月25日ではなく1月7日に祝います。イヴの6日の朝になると家長が山に行って、オークの木を採って来て、キリストの誕生や豊作、家族の健康を祈って、夕方から庭で燃やすという昔の風習があります。今では地方の教会で祝います。 イブには肉、タマゴは食べません。母の手作りの豆スープ、魚 料理、ミルク、タマゴの入っていない胡桃のお菓子、ドライフルー ツなどをいただきます。7日は必ず家族と一緒に過ごします。  
 重要な行事にイースターがあります。 4月のある週末にキリストの復活の象徴であるタマゴに、さまざまな色の模様をつけて楽しみます。  もう一つはスラヴァです。  これはセルビア特有のお祝いで、年間を通して多くの守護聖人がいますが、それぞれ家族に一人の聖人を信仰しています。装飾を施した大きなスラブ・ケーキをいただきます。配られたケーキ の中に1つのコインが入っていて、そのケーキを食べた人は幸運が訪れるとさています。  祝祭日の行事には、コロという民族舞踊を踊ります。地方によって異なりますが、男女が輪になって手をつないで踊ります。 民族衣装をつけますが、踊りも衣装も地方でいろいろあります

◎豊かな食文化が楽しめます。
セルビア人はパイをとても好みます。ミート、チーズ、ホー レンソーなどいろいろあります。主食はパン。ヨーグルトが好きです。サラダもいろいろあってトマト、玉ねぎ、チーズで作ります。ロールキャベツ、パプリカの肉詰めなどが有名。ジャムが大変おいしい。果物もりんご、ぶどうもいただきます。

 


 当日、お土産にいただいたセルビアのブランディー、プラムのラキヤです。 爽やかな香りとすっきりした飲み心地はスラブの味です。とても強くアルコール分45%。 日本ではめったに手に入らない代物です。 この他、ハーブティ、ワインなどもお土産にいただき、反省会で味わさせていただきました。ありがとうございました。

 ワインはローマ時代から、昔ながらの製法で作っています。



  最後に、ティヤナさんから、「セルビアは小さい国だが、これからの国、是非一度訪れて下さい」。というあいさつで終わりました。 ありがとうございました。
最後までお読みいただきありがとうございました。


セルビアを知るために、参考になるwebサイト
http://www.serbianembassy.jp/japan/index.html  <セルビア大使館>
http://jp.serbia.travel/  <セルビア観光局>
http://www.tob.rs/en/index.php  <ベオグラード観光局>